ティナとロックの主人公性を考える。 - ティナ編

どうしてティナとロックは主人公として取り上げられやすいんだろう?というか取り上げられるんだろう?
FF6は『全員が主人公』とうたっているものの、いちいち全員を出すわけにもいかないから絞るしかない、というのはわかってるんだけど、そこで絞られるのがどうしてティナとロックなんだろう?

 

『ゲームの序盤で出てくるから』?

一番わかりやすいというかパッと思い付くのは「ゲームの最初に出てくるから」なんだけど、でもそうすると私が愛してやまないエドガー様もゲームの最初に出てくるから、『ゲームの最初に出てくるから』だと私があんまり納得できない。だってエドガーは最初に出てくるかつ世界崩壊後の仲間にするの強制なんだもの。たぶんFF6キャラの中で一番登場時間多い(と思うのは私が常にエドガーをパーティーに入れているからだ!実際パーティーに入れないとそんなに多くはないぞ!)
なので「最初に出てくるから」はちょっと却下したい。というかそんな安直な理由で『全員が主人公』を覆さないでほしいなみたいなめんどくさい気持ちもある。みんな大好きだもん!

そこで考えたのが、『キャラクター性』かな?ということ。
ティナはFF6という作品で基盤を担っていると思うし、彼女がいなかったらFF6という物語は始まらなかったと思う。でも、ティナが主人公として多くの人の頭に浮かぶのはそれだけではないと思うのです。
私が普段創作していて常々感じていることは、『主人公[一つの作品における焦点、主軸、もしくは視点主]』という存在は、どこかしら『足りない部分が必要』であるということ。
それは同時に「作中で主人公を成長させる」というヒューマンストーリーでもあるわけなんだけど、FF6の作品の中でこの『成長』の姿をもっとも見せているのがティナだと思う。

 

ティナという少女のこと

ティナは物語が本格的に開始したとき、記憶がない状態から始まる。意思もない。記憶もない。感情もない。空っぽ。生まれたばかりのひな鳥みたいな。そんな彼女が世界崩壊後の世界で「子どもたちを守りたい」という気持ちから『母性』という《愛》を芽生えさせた。
最後にティナがトランス状態で飛空艇を導いて空を駆ける姿を思い出すと、ゲーム序盤の彼女をひな鳥と比喩するのは言い得て妙だ。EDで見る彼女は間違いなく空を飛んでいる。自分の意思で、自分の力で空を飛んでいる。彼女は鳥だ。澄んだ空気の大海原を翔る鳥。ひな鳥が自分の翼で羽ばたけるようになるまでの物語。
それがFF6。なのか?そうかも。それも一つのFF6という作品の姿なのかもしれない。

そう考えていくと、ティナというひとりの少女を主軸として始まるFF6という作品の中で主人公の代表をティナとするのは理にかなっていると思う。主人公という言葉を『一つの大きな物語の主となり個人の立場を離れて全体にかかわる公の場で活躍する人』という意味で表わすのならば、間違いなくティナは主人公だ。まごうことなき。ティナ可愛い。

 

ティナは主人公然としている

ティナ自身の性格や生き様はRPGにおいて適格に『主人公然としている』と思う。
例えばそれは、作中における彼女の、常に迷いながら苦しみながら、時には大きな壁にぶつかりその巨大な問題から逃げながらも、自分の心と真摯に向き合いひとつひとつの問題を乗り越えていくという姿
『物語の主人公』としてこれ以上ない彼女の生き様は、あの物語における主人公なのだなと思わざるを得ない。

主に世界崩壊前のことだけど前半でこれだけガツンと心にその存在を刻みつけるんだから、ティナがFF6の主人公の代表として選ばれることに異存はないよ!かわいいし!かわいいし!かわいいなぁ。ティナちゃんはセリスよりおっぱい小さいといいな。

っていうところから見るに、やっぱりティナがFF6の主人公的扱いをされるのは納得しちゃうね。かわいいしなぁ。ティナちゃんを生み出した当時のスタッフの皆様方には足を向けて眠れない。ティナちゃんかわいいです。生んでくれてありがとう。
ティナちゃんかわいいしか言ってない。

 

セリスとティナの違い

じゃあセリスはどうよ?とも考える。セリスだって物語の中で大きく変わった内のひとりだ。しかも世界崩壊後はセリスを動かして話を進める。
セリスがエドガーと合流してセッツァーと再会して、飲んだくれてた彼を激励してファルコンを蘇らせたんだから。セリスがいなかったらセッツァーは一生あのパブで飲んだくれていたよ。
かに すら とも よや 蟹すら友よや ?

ファルコンが飛ばなかったらみんなばらばらのままだったかもしれない。あの世界はケフカに支配されたままだったのかもしれない。だからセリスは必要不可欠なキャラだし、あの役目は彼女だからこそ果たせたのだと思っている。

セリスとティナの一番の違いは、私が思うに『変化に伴う結果が外に向いているか内に向いているか』というところだ。

セリスの変化は内側のものであってある固定のものに対して向いている。いわゆる公私の私に当たる。
ティナの変化は外側的なものであってひとつのことに固定されず開いている。いわゆる公私の公に当たる。

そう言った点でセリスはヒロインであれど主人公ではないなと思う。例えば幼馴染みの男女ふたりが旅するファンタジー作品があったとする。よくあるやつだ。
そうすると主人公は男でヒロインは女になる。ヒロインはヒロインというポジションでいるものの、主人公というと少し違う。ここで言う主人公とはその物語における主軸であり視点であり焦点となる人物のことだ。
そういう意味でセリスはヒロインではあるものの主人公ではない。彼女は物語における『物語の主軸であり、公のために行動する』役回りとは少し違う場所に立っているのだ。シュタゲの紅莉栖に近いかもしれない。私の中で紅莉栖はヒロインだけれどあの話の主人公は岡部とまゆりだと思っている。
すごく半端な例えを出してしまった。シュタゲ好きです。

セリスが物語の序盤で動いているのはマリアと魔導研究所でのところだろうか。その辺りのイベントはFF6という物語を進めていく上で欠かせない存在であるんだけれど、その役割を担うからと言って主人公なのかというとそれはやはり少し違うなと私は思う。重要なモブはたくさんいるものだ。幻獣たちもそうだ。
だからやはりセリスとティナどちらをFF6を代表する主人公キャラとするか?を考えたらティナだなぁと思う。

ちなみにリルムを省いたのは彼女が仲間になるのがだいぶ物語が佳境に入ってからであることと世界崩壊後も仲間にせずとも問題なく話が進んでいくからという点であり、彼女の存在自体にFF6の物語が大きく関わっているかというとそうでもないなと体感しているからである。
個人的な好き度で言えばリルムはダントツ一位なのでそこは勘違いしないでほしい。いやもちろんティナもセリスも大好きだし他のみんなも大好きだけど女の子の中ではリルムを一番多く書いているよ!それはまた別のお話。

 

物語における主人公という役割と生き様について

セリスの立ち位置というのはドラクエで例えるとドラクエ5の主人公の子どもみたいな感じかなと思っている。

主人公はあくまで父親。パパスの息子。彼は勇者ではなかったけれどドラクエ5という作品の中で主人公は誰かと問われればみんなパパスの息子である彼を思い出すんじゃないだろうか。でも勇者は彼じゃなかった。そんな感じだ。
ドラクエ5がわかんねーよ!という人はぜひともプレイすることをお勧めしたい。ここで例に出せるくらいあの作品の物語構成の本質はFF6に近いものがあると思う。ないかな。あると思うんだけどなぁ。
時を越えて行く系の作品が好きならきっと好きだと思うのでお勧めします!実は昔はFFよりドラクエ派のエニクス派だったのだ。

閑話休題

セリスのポジションはドラクエ5主の子どもと近しいと思う。子ども視点で話が進んで物語を進めていって両親を助けに行くけれど、それは主人公が動けない状況に陥ったときに主人公以外の第三者を動かすという【演出】のひとつであり、世界崩壊後にセリスを動かすのも同じようなものなんじゃないかと思っている。

例えばティナ視点で世界崩壊後の話が進んだらどうだろうか?さまざまな困難に立ち向かうといった点ではひとつの物語が生まれるが、FF6という作品から見るとティナ視点はFF6の作風から離れてしまうように思う。
なぜなら彼女は世界崩壊後の世界で戦う力を失いしばらくモブリズに留まるからだ。彼女は主人公でありながら作品の中で停滞する。物語の舞台が『世界』ではなく『モブリズ』になってしまうのだ。
だからティナは、世界崩壊後に最初に動かすキャラクターとしては向いていないと思う。

他のキャラクターも同じようなものだ。例えばエドガー。私の大好きなエドガー。一推しのエドガー。何とも比べられない大好きなエドガー。
彼を世界崩壊後の最初のキャラクターとして動かしたらどうだろう。答えは明白だ。彼は再会したとき『フィガロのために』動いていた。つまりエドガーはFF6という物語の中で『世界という開けた全に対してではなく、フィガロという閉じた全に対して』働いているのである。
ロックもそうだ。彼は『自分のためにフェニックスの魔石を探していた。』他キャラも同じようなことが言える。代わりになりそうなのはマッシュか。しかしマッシュはおそらく「エドガーを探していた』かもしくは『エドガーの力になりそうなことをしていた』ので、彼も世界崩壊後という開始にはあまり相応しくないように思う。

あの時間軸でキャラクターに求められていた役割。それは『次に出会うキャラが誰であっても変わらずにストーリーが進む』ことと『世界崩壊後の【世界】を舞台にできる』ことだ。
エドガーではフィガロになってしまう。マッシュではエドガーになってしまう。ロックではレイチェルになってしまう。セッツァーもリルムもストラゴスも、おそらく全員が『世界』ではなく『個』として向いてしまう。
確かにセリスもシドが死んだルートではロックが生きていることに希望を見出して旅立ったわけだけれど、ロックが生きていることを知らないルートでも旅立つことができる。そこに差異があっても結果は変わらない。

そう考えると、世界崩壊後セリスを最初に動かすというのは理にかなっているように感じる。彼女を最初の視点にしたからこそ、舞台が『個』に留まらず『世界』になった。
だから世界を駆け回って仲間を集めることもできるし、そのままケフカの元へ乗り込むこともできる。

 

主人公然とはなにか。

それじゃあセリスも主人公なんじゃないか。そう考えると、やっぱりそれは違うようにも感じる。
私が思うに、FF6という物語を終結させる上で、ティナの変化は必要不可欠だ。ティナは世界崩壊後しばらく仲間にすることができないけれど、彼女の変化は確実に物語の核心に触れている。

だから世界崩壊後にセリスを動かして物語を進めていっても、ティナの主人公然たるキャラクター性が消えることはない。

主人公に一番必要なもの、それは成長であり変化だと思う。FF6の中で一番大きく変化しているのはティナだ。他のみんなは確固たる意思を持ち目的を達成するために旅を続けていたが、ティナは違う。勝手に巻き込まれて渦中に放り出されて目的もないまま彷徨ってきた。
ティナにとっては手段こそが目的であり、その点が他の仲間たちと明らかに違う部分でもある。
そんな彼女のFF6における時間軸の中での成長こそ、『主人公然』たる証明ではないか。

 

ということで、ティナがFF6の代表という主人公として抜擢された理由のひとつとして、ここに私の考察を記しておく。
あくまでこれは私の個人的な主観に基づいた考察でしかないので、「いやいや主人公はセリスでしょ!」「リルムでしょ!」「他キャラでしょ!」という意見があっていいと思うしその感覚を持ち続けてほしい。欲を言えば私に教えてほしい。新たな視点がほしいのです。
ロックのことは今回の考察で取っ掛かりを見つけることができなかったので、そのうち……。ロックの場合は性格かなぁやっぱり。あと登場回数と物語の核心に常に立ち会っているという点だろうか……。うむむ。