エドガーはロリコンなのか

それは日本人の多くが家族サービスという名の業楽に馳せ参じる5月頭のこと。のび太くんもびっくりの就寝力を身に宿した私は襲いかかる眠気の中ひとつの強い感情に支配されていた。それは「エドガーはロリコンじゃない!!」という定説。その力の勢いたるや、Wikiを引っ張り出しロリコンの定義を紐付けた上での理想論である。勢いはあった。というか勢いしかなかった。
そして今日、私はふと思った。「エドガーはロリコンじゃないのか?」と。なぜ「エドガーはロリコンじゃない!!」をあれほど頑なに貫こうとしていたのか、あいにく今の私には皆目見当もつかない上に理解にも及ばないのでもう二度とその理論を見ることが叶わないのが大変嘆かわしい。なぜ当時の私は睡眠欲に負けて眠ってしまったのか。目を覚ました翌日には「なぜ昨晩はあんなにも燃えていたのか?」と首を傾げていたので完全に勢いしかなかったのだろう。そんなものをぶん投げなくて本当によかった。眠気の魔力の恐ろしさたるや。身震いする。

さて、長ったらしい前述はここまでにしておくとして、ここでは表題の通り「エドガーはロリコンなのか」を考えたいと思う。
しかし約一ヶ月前は「エドガーはロリコンじゃない!!」を必死に説こうとしていたので人間の心理の変化とは実に興味深い。女心と秋の空とはよく言ったものだ。私はそう言う自分が嫌いではないがそれで人を振り回す悪癖がある、反省したまえ。

 

本題

エドガーはロリコンなのか?を考えるにあたり、そもそもなぜ『エドガーはロリコンだ』と言われるのか、その理由を探りたいと思う。
恐らく一番有力な説は『フィガロ城で出会う幼女がエドガーに対して「へいか!ケッコン!ケッコン!」と言っているから」なのではないかと思う。これについてはFF6発売当時Vジャンプに乗っていたスタッフインタビューに下記のような項目があったそうなので引用したい。

―――10歳のリルムを口説くのはダメで、どうして8歳のプリシラはいいの?
田中:プリシラは、縁談好きの母親から、「王妃様になるよ~」と吹き込まれているのです。困ったエドガーは、「大人になったらね」とうっかり答えてしまいます。これが本当のところですね。

ということなので実際スタッフの意図するところではエドガーが口説いたわけではないのだけど、まぁそんなのゲーム中に出てこないんだから知らねーよ!という意見があってもいいと思う。人それぞれ様々な解釈の自由が許される、それが世界というものだ。
私はこれらVジャンプの情報を基にエドガーという人物像を構築しているのでこれを理由にエドガーはロリコンであるを唱えられると上記の事柄を持ち出して「いやでも私はこう思う」と反論してしまいたくなるのだった。人間っていやね。

そして次に思われる理由が、リルムに対して「さすがに犯罪か、やめておこう」と思い留まるところ。私としては『エドガーはロリコン』を考えるならばこちらのセリフを推したい。
先ほどツイッターでも述べたわけだが、エドガーはリルムに年齢を問いかけた上で「犯罪か」と認識したのである。
そのツイートが以下の通り。

 つまり〔レディを口説くことは礼儀〕としているエドガーが、レディに対して口説くことを『犯罪』と認識したわけだ。これだよ!!エドガーがロリコンなのではないかと私が思うところは!!!

それはなぜか?私が思うエドガーの口説き癖というのは彼が言う通りの礼儀、つまりは挨拶のようなものだと思う。顔を合わせれば挨拶をすることが礼儀であるように、その条理のまま彼にとって『女性を口説くことは礼儀』なのだ。つまり『女性を口説かないことは礼儀にかける』のである。そのエドガーがレディを口説かなかった。年に関係なくばあやすらも口説いたというエドガーが、である。
彼にとっての口説きは礼儀、裏を返せばエドガーの〔女好き〕とは私たちが〔犬好き〕〔猫好き〕を主張するのと同じことなのではないか、と思う。散歩中の犬を見て「かわいい」と口にするようなものだ。つまりエドガーにとって、口説き相手は性的な対象ではないということ。彼にとっては綺麗な花を『きれいだ』と口にするようにレディを口説く。それだけなのである。
ならば幼い少女を口説いたところで犯罪にはならないのではないか?なぜなら彼にとって口説きとは礼儀だからだ。年齢を理由に彼の信念を曲げることは、彼にとって礼儀に欠けることと同義ではないのだろうか?少なくとも私の思うエドガー像では、彼がそんな理由で口説くことをやめるようには思えないのである。

そこで考えるのが「さすがに犯罪か」というセリフ。エドガーはレディに声をかけることを犯罪だと思っていない。だがある一定の年齢のレディに対しては『犯罪である』と認識している。つまりこれは、彼が後ろめたさを感じるだけの理由がその背後に存在しているからではないだろうか?
具体的にいうならば、『性的対象』として捉えているからこそ「犯罪か」と思い留まったのではないだろうか?

と、ここまで『エドガーはロリコンである』可能性を考えてきたわけだが、冒頭でも書いた通り私は今日まで「エドガーはロリコンじゃない」と思ってきた人間だ。なので自分でこの定説を唱えながらも現在首を傾げているのである。
その理由として挙げられるのは「そもそもエドガーは女性という姓を持つ生き物をすべからく性的対象としてみているから”こそ”年齢をわきまえて犯罪に至る可能性を考えたのではないか?」ということだ。つまり前述で上げたエドガーの〔女性を口説く〕行動理念を真っ向から否定しているのである。貴様!!自分の主張を否定するとは何事だ!!!
私たちの世界では、というか日本では子どもに手を出すと犯罪である(海外の細かいことは知らないし興味もないので言及はしない)。平たくいうと満18歳未満の人間に手を出すと犯罪である。16歳だっけ?まぁどっちでもいいや。とにかく、何故かもクソもなく【法律で決まっているから】犯罪なのである。法律破ったら犯罪!!
その行為が犯罪に至るまでの過程や法律のなんたるかという言葉の裏に数多と広がる道徳を解き始めると人の数だけの価値観から紐解かなければならないので割愛する。私は別に児童ポルノについてなにかを唱えたいわけではない。興味はあるがそこに割くだけの時間が惜しい。私はエドガーについて考えたいのだ!!
ちなみになぜ人間社会に法律は存在するのか?規律は存在するのか?については7月3日刊行予定ロック×セリスカップリング本「月光花」にてエドガーにちらっと語らせているので興味がありましたら是非手にとってどうぞ!そうです宣伝です!通販あります!

ちらっとだからな!本当にちらっとだからな!そして意図的には『悩むセリスを助言するために飽くまで一部の解釈を伝えた』だけだからその辺は過大解釈しないように頼むー!!人の解釈は怖いんですほんと。勘弁してね。

閑話休題。とにかくそういうことで、エドガーの「さすがに犯罪か、やめておこう」のセリフひとつ取り上げるだけでも2パターンあるのである。だから正直『エドガーはロリコンなのか?』については『わかんねぇ』としか結論付けられない。正解が知りたい方はFF6の世界にトリップしてエドガーに直接聞いてどうぞ。本人から聞けない限り真実は永遠に闇の中なのだ。

ちなみに私個人としては「エドガーはロリコンかもしれない」くらいで推したい。自分の思うエドガーの人物像から上記の「犯罪か~」セリフを汲み解くとロリコン疑惑が浮上するからである。
しかしこの辺りはそもそものエドガーという人物像の解釈によって印象が異なってしまうので、やはり定義づけは難しいのだなぁ。
私の中の理想とするエドガーの人物像を考慮しなければ『ロリコンではない』も成立するんだが、私はどうしても『エドガーの口説き癖は人間が動物愛を持つのと同じベクトル』で考えたい人間なので、後者の理由を成立させる前提が崩れてしまう。人とは難儀な生き物である。
しかしひとつのセリフで真逆の解釈が生まれる可能性があるというのは実に面白い。なるほどなぁ、だから人の世界には絶えず争いがあるのだ。そして力あるものが勝つ。勝者が正義。世界の条理とは理不尽なものである。

と、つらつら書き綴ったものの。私はどうにもエドガーがリルムを好きになるからエドガーはロリコンだ、という説には首をかしげてしまう。
やはりそれは私のロリコンという言葉の定義と、前述のとおり感じる人の『ロリコンという言葉の定義』に違いがあるからなのだろう。
私の思う『ロリコン』とは思想である。特定の誰かに固執するものではなく、特定の誰かを差すのではなく、あくまでも『その対象に当てはまるすべての存在に対するもの』というのがロリコンだ。ロリコンとは思想である。相手がリルムではなくとも町で出会う娘も当てはまる。少女と呼ぶべき対象がわからないが仮に12歳程度と定義づけた場合、12歳未満の少女すべてに適用されるのがロリコンである。
従って「恋した相手がたまたま10歳の少女だった』場合は私のロリコン定義から外れるので『エドガーはロリコンではない』となる。この場合主語はエドガーだが、言葉の意味として重きを置いているのはロリコンだ。『“エドガーは”ロリコンではない』ではない。『その考え方はロリコンではない』が正しい。
なので私が『エドガーはロリコンではない』を論じるのならば恋をした相手がたまたま年下だったというだけであり、仮にエドガーをロリコンと定めるのならばそれはリルムに限らずすべての少女を対象とするべきである。なぜなら私にとって『ロリコン』という言葉の定義がそうであるからだ。

だが、『少女・幼女と定義される年代の女性に恋をした』ことそのものをロリコンと定義づけるなら、リルムを好きになるルートのエドガーはロリコンなのである。この辺りは『ロリコン』という言葉の定義そのものの解釈によっても変わってしまうので、人間というものはやはり難儀な生き物だ。それを汲み解き思考するのが私はたまらなく楽しい。

というわけで以上、エドガー好きの主張、『エドガーはロリコンなのか?』でした。亜咲先生の次回作にご期待ください。