私の思うエドガー

私が理想に思うエドガーのことを書き綴っていく。

【エドガーは国王だ】

エドガーは国王だ。どうあっても国王だ。なにがあっても国王だ。悲しいまでに、あの人は国王然たる生き方を貫いている。
エドガーは常に国のことを思って行動していた。飾りの国王じゃない。名ばかりの国王じゃない。エドガーはいつでも、「父が恥じないような王か?」を心の中で唱えて生きている。
私の思うエドガーは、そういう人だ。

世界が崩壊して仲間と散り散りになっても、エドガーは国のために動いていた。それは仲間なんてどうでもいいとかではなく、仲間はきっと生きているだろうと信頼していたかどうかは私にはわからず、ただ彼にとって「国とそれ以外」を天秤にかけることはないのだろうと思う。

天秤にかけるまでもなく。あの人にとっては国がすべて。17歳で王座に就き、27歳まで生きてきたその10年間は。国王として生きてきたその10年は、決して短いものではなく。その間、国王として生きてきたエドガーには、きっと『国王として』がその心に染み付いているんだろう。

【エドガーは優しい人なのか?】

国王とは全を見るもの。多くの価値観が存在していることを知り、人の数だけ解釈が存在していることを知っている。だからあの人は、人に期待しない。
エドガーは自分にとても厳しい人だと思う。その反面、人には優しいと思う。優しい。『優しい』とはなんだろう?
たとえばエドガーは、自分の理想を他人に押し付けない。自分の価値観を人に押し付けない。自分の解釈を他人に押し付けない。それはエドガーの『自分の理想』が『父に恥じない王になる』ことだから。比べるものがない、比べる対象がない。だからあの人は、寛容に人を受け入れる。
それはきっと、「優しさ」に見えるんだろう。人はそれを「優しさ」と感じるんだろう。
ならばそれは、『慈悲』なんだろうか?

私は思う。本来の『優しさ』もは、『慈悲』なのではないか、と。
自分の村を焼いた軍の兵士が傷付き倒れている。その兵士に手当てをするか。見捨てずに自宅まで運び、手厚く介抱し、傷が癒えたらそのまま立ち去る姿を見送れるか。
彼が生き長らえることによって、新たな犠牲が出るかもしれない。元気になったことで、次に行く村を滅ぼすかもしれない。介抱されている間にこっそり情報を入手し、持ち帰っているかもしれない。

国王という立場に立つと、様々なリスクを想定しなければならない。様々なリスクを回避しなければならない。そうでなければ、何万もの民の命が危ぶまれるかもしれないからだ。
エドガーの言葉ひとつで人が動く。エドガーの行動ひとつで人が死ぬ。エドガーはきっと、それを誰よりもわかっている。

手を差し伸べれば生きていられる人が目の前にいる。しかしその人を助ければ国民が危険な目に遭うかもしれない。
それでも傷付いた人を助けることが「人として正しい行い」なのか?傷付いた人を見捨てることが「王として正しい行い」なのか?それは誰にもわからない。
人として正しい行いをした結果国民が危険に晒されれば愚王と罵られ、王として正しい行いをした結果人が死ねば人でなしと罵られる。
相違する価値観が共存する世界で、万人に受け入れられる思想はどこにあるんだろう。

エドガーは優しい人なんだろうか。優しい、とはなんだろう。他人を受け入れることだろうか。罪を許すことだろうか。リスクを負ってなお手を差し伸べることだろうか。腹を切られてなお笑っていられることだろうか。
エドガーは優しい人なんだろうか。優しいとはなんだろう。私にはわからない。

慈悲で手を差し伸べ、その手を振り払われたことに憤る人がいる。「せっかく手を差し伸べてやったのに!」と。それは優しさなんだろうか?
容易に答えは出せない世界。正反対の正義という名の主観が蔓延る世界。
エドガーはそれを知っている。正義とは主観であり、悪もまた主観であり、正義を貫くためには勝者であらねばならないと。
彼は世界を知っている。理不尽を知っている。相反する悪が横行し、正義が往生していることを知っている。
解釈は自由であるが故に、争いは絶えず続き、その中で万人を納得させる答えなどどこにもないのだと理解している。

人は弱く、脆い生き物だと知っている。だからエドガーは人を許すんだろう。許せることは、優しさか。諦めではないか、妥協ではないか。それは、『優しさ』なのか?
人を許せない。許せない生き方は苦しい。人を許せなければ自分も許せない。自分を許し、人を許していくことを知る。許すことを知っていけば自分を許せるようになり、生きることが楽になる。
そうして許すことを覚えた人は、『優しい』んだろうか?許せる人は優しい人なんだろうか。

他人に期待しなければ怒ることはなくなっていく。怒りは常に、なにかを期待する気持ちと、それが叶わなかった虚しさ、悲しさから生まれるものだからだ。怒りの裏には常に悲しみが隠されている。
それならば、怒らない人は優しいんだろうか?確かに寛容という意味でいうのならば優しさではあるけれど、それははたして万人の思う優しさなんだろうか。

万人の思う優しさとはなんだろう。エドガーは優しいんだろうか。私にはわからない。
わからないけど、こうやって生きてきて、こんな思いを抱いていたらいいなと思う。そんなエドガーが好きだなと思うし、私はエドガーのこういうところが好きだ。こういう結論に至れる可能性を秘めているエドガーが好き。

これが私の思う理想のエドガー、の、ほんの一部。もちろん他にもたくさんある。